元和9年(1623年)岩城吉隆によって築かれた。
亀田藩岩城家二万石の陣屋として築いたのが亀田陣屋で、旧亀田小学校、グラウンド、天鷺神社の辺りが陣屋であった。
岩城家はもと磐城平を領した大名であったが、関ヶ原合戦後に改易となる。このときの当主岩城貞隆は実兄である佐竹義宣を頼って秋田へ移らず浪人となった。慶長20年(1615年)の大坂夏の陣に参戦した貞隆は戦功を挙げ、信濃国中村一万石を賜り、中村藩(川中島藩)一万石の大名として再興が叶った。元和6年(1620年)には貞隆が没して嫡男吉隆が家督を継ぐが、元和8年(1622年)最上氏が改易となったため、出羽国由利郡に一万石が加増され、翌9年亀田陣屋へ藩庁を移した。その後、信濃領一万石も出羽に替地されている。以降岩城家は代々続いて明治に至る。
亀田陣屋は中世赤尾津城のあった高城山の北山麓に築かれており、旧亀田小学校の敷地が中心部となっている。明瞭な遺構は小学校の西にある天鷺神社の所に土塁が残っているくらいで、この部分にはかつて兵武庫や米倉があった。グラウンドの北端の岩城歴史民俗資料館との間の道路が堀跡であろう。
東にある現在「亀田城」と名付けられた城郭風の建物は美術館、北の櫓や大手門風の建物がある所は「天鷺村」という古民家や岩城歴史民俗資料館のある施設で、亀田藩岩城家の歴史資料なども展示してある。