この城は以前「白石城」として掲載していたものであるが「福岡県の城郭」により白石城ではないことが確認できたので訂正して掲載する。
「福岡県の城郭」によれば、地元では「寺ん城」と呼ばれる城で史料には出てこず高岩城ではないかと推測されている。
高岩城は嘉禄2年(1226年)星野氏の祖である星野中務大輔胤実が本星野に館を構えた後に築いた城である。
高岩城は星野小学校の東に聳える標高420.9mの頂部に築かれている
城は単郭で南側はやや傾斜がある。曲輪の南側に二重堀切、北側にも堀切がある。北側の堀切を越えて岩場を降ると平地があり、その先がこんもりと高くなっており、見張り等には使えそうだ。
星野小学校南側のプールの所から山へ向かって木を伐採する為の道があり、これを登ると山頂近くまでいくことができる。