詳細不明。関ヶ原合戦時に西軍に属していた臼杵城主太田一吉を岡城主中川秀成が攻めたときの陣城と考えられている。
若山の陣は陣山と呼ばれる標高約140mの丘陵上に築かれている。
北端最高所Iを主郭とした陣城である。主郭Iは土塁囲みで削平も丁寧である。虎口は東と西の2ケ所にありともに平入である。土塁の外側には横堀があり、南は虎口1のところまで、北は二郭西の虎口3まで連続する。
主郭の南西下には曲輪IIがあるが削平されておらず、概ね自然傾斜を残す。北辺から西にかけて土塁があり外側に横堀を伴う。土塁の内側には土を取ったような浅い溝があり、これも土塁造りの陣城にはよくある。南側は自然地形がそのままになる。
虎口は西に虎口3があり、食い違い虎口になる。横堀は現状虎口の北側のみで、南側まで伸びていない。この虎口に続くように浅い溝が西鞍部のほうから伸びているが城郭遺構なのか判然としない。幅は約1m前後で深さも1mに満たない。
曲輪IIの北側に弓形状の堀地形があるが、山道の一部であろうか。
北の国道502号線から行く方法と南の芝尾のほうから行く方法がある。ともに未舗装林道程度の道が続いているようだが、現状車両でいくのは難しい。
北側の国道にある路側帯に駐車して歩いて登ったが、途中の畑までは車でも行ける。
最寄り駅(直線距離)