築城年代は定かではないが田北氏によって築かれたと云われる。 田北氏は大友氏初代大友能直の子親秀の七男親泰が田北を領して田北氏を称した事に始まるとされる。
天正6年(1578年)大友氏と島津氏が戦った耳川合戦で田北鑑重(紹鉄)の弟鎮周は討死、天正8年(1580年)には田北鑑重は謀反の疑いによって討ち取られ、田北家の嫡流は断絶したが、吉広統幸の弟統員をもって田北の家督を継がせ再興している。
天正14年(1586年)薩摩の島津氏が松牟礼城に攻め寄せたとき、城主の田北統員は豊前龍王城に籠もって留守であったため、松牟礼城は落城した。
松牟礼城は標高659mの三笈山山頂に築かれており、現在は主郭まで山道が整備されている。田北氏の館城は南東にある田北城とされており、居館と詰城が直線距離にして約3kmとかなり離れている。
主郭は山頂にあり地形に沿って南北に長く、西下に腰曲輪を備える。南尾根には曲輪と思われる平坦面があり、その西山腹に横堀状の地形から畝状竪堀群が伸びている。南端には二重堀切があり、そこから西へ伸びる竪堀も畝状竪堀の一部となっている。
松牟礼城へは南東側にある農免道から道が付いている(地図)。農免道に道標が出ており、そこから続く林道を入って行くと南尾根に至る。ここまでなら未舗装であるが普通車でも行くことが可能で、駐車スペースもある。
最寄り駅(直線距離)