築城年代は定かではないが狭間氏によって築かれたと云われる。 狭間氏は大友氏二代親秀の四男直重を祖とする。
天正14年(1586年)島津軍は豊後に侵攻し松牟礼城を攻略する。島津軍の一隊は権現山城を取り囲んだが、難所の高所であったため落城せず講和が結ばれた。
権現嶽城は芦川が大きく蛇行する地点に聳える標高216.1mの城山山頂に築かれている。
城山は非常に急峻な地形で切り立っており、功徳院から続く道以外には登れそうもない。ただ、現在は功徳院から車道がつき、山頂部は大きく改変されている。
山頂部は狭く岩があり、南西下にやや広い平地がある。ここに「権現嶽懐古」という石碑があり、権現嶽城に関する碑文となっている。
南麓にある功徳院から道がある。
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