詳細不明。小田山新城とも呼ばれていることから栂牟礼城の後に築城され、天正14年の島津侵攻に備えたものだとも考えられているが詳らかではない。公園化による発掘調査では建物跡は検出されず、16世紀末葉と見られる遺物がわずかに出土している程度である。
小田山城は栂牟礼城のある栂牟礼山山頂から西へ派生した標高180mの山頂部に築かれており、現在は公園として整備されている。
小田山城は標高180mの山頂部を主郭とした城であるが曲輪の形状は曖昧で、山頂部は削平されていなかったようである。現在は南側が削られて電波塔と東屋が建てられている。
小田山城の最大の特徴は周辺に設けられた畝状竪堀群で、周囲は八割方竪堀群で埋まっている。ただ、確認した範囲では短く不明瞭なものが多いようである。栂牟礼城にあるような連続した堀切はなく、東と西に堀切が一条ずつ、北尾根は放射線状に竪堀を配して防御している。
国道10号線が番匠大橋北詰の番匠交差点から少し西へ進むと「佐伯市栂牟礼山村広場」への道標が出ている(地図)。ここから舗装された林道が標高150m程の所まで付いており、終点に駐車場とトイレも完備されている。 ここから西へ遊歩道を登った所が小田山城である。
最寄り駅(直線距離)