詳細不明。難波氏代々の居城で、はじめ赤松氏のち浦上氏、松田氏に従っていたが、宇喜多直家によって攻め落とされたという。
殿谷城は北へ伸びた舌状丘陵に築かれており、現在は石碑が建てられ整備されている。
主郭には「難波十郎兵衛行豊之墓」と刻まれた石碑があり、その背後に数個の墓石が並んでいる。
主郭の南背後は比較的大きな堀切1で遮断しており、そこから北側が城域となる。北へ続く尾根には二の段、三の段と書かれており、1、2mの段差で削平地が続いている。切岸や削平面の状況から幾分改変されているようであるが、その周囲にも削平地が拡がっている。北側は畑があったとされるがヤブでまったくわからなかったため未確認である。
北の県道53号線沿いに道標が出ている。道なりに山の西側、池方面に進んで行けば良いが、道は狭いので大きな車だと曲がれないかもしれない。
池の堤防に続く道に突っ込んで駐車可能で、堤防の奥から登る道がある。
最寄り駅(直線距離)