築城年代は定かではないが元亀年間(1570年〜1573年)に牟岐大膳允によって築かれたと云われる。
天正3年(1575年)長宗我部元親の軍勢が海部城を攻め落とすと、大膳允は人質を出して降伏した。
牟岐城は牟岐川河口東岸の通称観音山に築かれていたという。 本丸は北端頂部にある観音堂のある所と云われ、一段小高くなっている。城山はここを中心として南西、南東、東へと尾根が広がっている。
南の海蔵寺から金比羅神社を経て観音堂、南西尾根を経由して八幡神社へと歩いてみたが全く城郭遺構らしきものは見あたらなかった。
南の海蔵寺か南西麓の八幡神社から山道が付いている。
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