元和6年(1620年)西郷正員が下総国生実五千石から安房国朝夷郡、長狭郡内に一万石で転封となり築いたのが東条陣屋であった。
西郷氏は三河国五本松城主で徳川家康に従って関東に入部した西郷家員が下総国生実五千石を与えられ、忠員、康員、正員と立て続けに家督相続し、正員が東条藩初代となった。
東条藩は元禄5年(1692年)三代寿員のとき下野国都賀郡、河内郡、芳賀郡の内一万石で転封となり、下野国上田藩(かみた)となったが、勤務怠慢などによって五千石に減封となり、寄合旗本に格下げ、後に所領を近江に移されている。
東条陣屋は新明神社の南側の水田のあたりに築かれていたとされ、かつての発掘調査で近世のものとされる七条の溝が検出されているが、詳細は不明で、現在地表面に遺構はない。