築城年代は定かではない。軍記物では東条氏の城として登場するが、里見氏の安房入部にともなう創作の可能性が高いとされる。
天正8年(1580年)小田喜城主正木時憲が挙兵したとき、時憲方であった金山城は里見義頼方によって攻められ落城した。
金山城は金山ダムに面した山に築かれており、現在は公園として整備されている。
金山城のある山は変わった地形をしており、主郭とされる山頂部には土塁を伴う小さな曲輪があり、石祠が祀られている。ここから南東に下ったところに広大な平地があり、その外周はほぼ削り残しの高土塁のような地形をしている。
土塁の開口部は南側にあり現在の入口は車道によって広げられたものであるが、もともとの大手もここと推測さるている。平地はダム建設時によって全体的に掘り下げられたと云われており、遺構としてははっきりしないが、この規模の平地が山上に存在していること自体驚きである。
県道から金山ダムに向かう小道に入りトンネルの手前に金山城の石碑がたっている。ここから集落内の道を奥へ進んで行けば曲輪まで車道が付いているが、現在では道が荒れていて徒歩でないといけない。途中に駐車スペースもなく、どこかに車を駐めて来る必要がある。
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