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写真館(36枚)
- 史跡指定
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市指定史跡
- 別名
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舞鶴城
- 形態
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平城
- 歴史
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天正13年(1585年)細川忠興によって築かれた。
織田信長の命によって丹後に侵攻し八幡山城に入城した後、新たに新城を築いたのが田辺城である。
徳川家康が会津討伐軍を編成すると忠興も精鋭を率いて参陣する。
これに対して大坂で挙兵した石田三成は各大名の奥方を人質にとろうとしたが、忠興の奥方ガラシアはこれを拒み死んだ。
大坂側は福知山城主小野木縫殿介を大将として、細川氏を攻めたが、留守を守っていた細川藤孝(幽斎)は宮津城を焼き払い、田辺城に移り籠城した。
城は堅城でなかなか落ちず最後は「古今伝授」の歌人である幽斎の身を案じた朝廷の勅使により双方が兵を引き開城した。
関が原合戦後忠興は豊前国小倉に移封となり替って京極高知が入城した。
高知が亡くなると嫡男高広が宮津七万五千石、次男高三が田辺三万五千石、養子の高信が峰山一万三千石に分地された。
寛永8年(1668年)高盛のとき但馬国豊岡に移封となり替って牧野親成が入部し以後明治に至る。
- 城主
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細川忠興,京極氏,牧野氏
- 所在地
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京都府舞鶴市南田辺(舞鶴公園)
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付近の城址
1.4km 丹後・引土城
3.3km 丹後・建部山城
4.9km 丹後・中山城
6.0km 丹後・浜村城
※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2006年10月
- 縄張図
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現地案内板より
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