|
|
写真館(53枚)
- 史跡指定
-
市指定史跡
- 別名
-
丸山城,扇城,小犬丸城
- 形態
-
平城
- 歴史
-
天正16年(1588年)黒田孝高によって築かれた。
伊予国今治城、讃岐国高松城と共に三大水城の一つと言われる。
黒田孝高は羽柴秀吉による九州平定の後、豊前国十六万石で入封するがこれを歓迎しない豪族と紛争となる。
孝高はこれを討伐するため軍を起こし諸城を落としたが、宇都宮氏との戦いで大敗し、宇都宮鎮房の娘を黒田長政が娶ることで和睦した。
中津城が完成すると、宇都宮父子を招き婚約成立の宴を催すが、これは謀略でことごとく討ち取り、軍を起こして宇都宮氏の本城を攻略した。
関ヶ原合戦後、その軍功により黒田氏は五十二万石で筑前国名島に転封となり、替わって細川忠興が三十二万石で入封する。
忠興は中津では領内の統治が難しいため小倉城を築いて移り、嫡子忠利を中津城に置いた。
忠興が隠居すると忠利を小倉城に移し、忠興が隠居城として中津城に入り三の丸を拡張した。
寛永9年(1632年)肥後国熊本城の加藤氏が改易となると、細川氏は五十二万石で転封となり替わって播磨国龍野から小笠原長次が八万石で中津城主となる。
しかし、享保2年(1717年)小笠原氏五代長さとが幼少で亡くなったため、小笠原氏は弟長興が継いで播磨国安志に一万石で転封となった。
その後、丹後国宮津から奥平昌成が十万石で入封し明治に至る。
- 城主
-
黒田孝高,黒田長政,細川忠興,細川忠利,小笠原長次,小笠原長勝,小笠原長胤,小笠原長円,小笠原長邑,奥平昌成,奥平昌敦,奥平昌鹿,奥平昌男,奥平昌高,奥平昌暢,奥平昌猷,奥平昌服,奥平昌邁
- 所在地
-
大分県中津市二ノ丁
|
|
付近の城址
1.4km 豊前・広津城
4.0km 豊前・末広城
4.0km 豊前・高田城
4.7km 豊前・成恒城
5.6km 豊前・旭城
5.8km 豊前・緒方城
6.2km 豊前・大畑城
6.2km 豊前・田丸城
6.9km 豊前・追揚城
7.7km 豊前・加能松城
7.8km 豊前・内蔵寺山城
8.9km 豊前・八田城
9.4km 豊前・原井城
9.9km 豊前・下川底城
※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
|
-
- 最終訪問日
-
2005年12月
- 縄張図
-
現地案内板より
- 建物
-
| 天守(模擬 天守)
所在地:
城内本丸 五重五階 望楼型
もともと天守があったかどうかは定かではない。
昭和39年奥平家と中津市の協力で建てられた
|
| 大鞁櫓(模擬 櫓)
所在地:
城内本丸 二重二階 層塔型
昭和39年奥平家と中津市の協力で建てられた
|
|