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写真館(116枚)
- 史跡指定
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国指定史跡
- 別名
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虎臥城,安井ノ城
- 形態
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山城(353m/250m)
- 歴史
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永享3年(1431年)太田垣光継によって築かれた安井ノ城がはじまりと云われる。
太田垣氏は「山名四天王」のひとりに数えられた有力国人である。
戦国時代となり次第に山名氏の勢力が衰えると毛利氏に近付くが天正8年(1580年)但馬に侵攻した羽柴軍により落城した。
秀吉は桑山重晴を城主に置いたが天正13年(1585年)紀伊国和歌山に移封となり替わって赤松広秀が入封した。
広秀は赤松一族で秀吉が播磨に侵攻した際に播磨国龍野城主であったが戦わず城を明け渡した。
後に蜂須賀正勝の配下となり中国・四国攻めの功により竹田城主となり広秀は朝鮮の役にも派兵し最終的に二万二千石を領した。
関ヶ原合戦で西軍に属し丹後国田辺城を攻め途中で西軍敗北の報を受け引き上げた。
因幡国鹿野城主亀井滋矩から西軍の因幡国鳥取城攻めの援軍を要請されこれに応えて鳥取城を攻略した。
この時、徳川家康は鳥取城城下町に火を放ち延焼させた罪を問い詰め、これを亀井滋矩が広秀になすりつけた為、広秀は自刃して果てる。
城は太田垣氏時代の土塁造りから羽柴・赤松時代に石垣造りに改修されたと云われる。
- 説明
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夜に雨が降ったこともあり早朝"もや"がたちこめる中の登城となった。
登るにつれ視界がひらけ下界を"もや"が埋め尽くすようになる。
それはまさに「天空の城」といえるかもしれない。
そんな景色を天守台から眺めるのもよし、千畳から見上げるのもよし。
ただ単にぼーっと眺めているだけで幸せになる城はめったにない。
天守台には木製の梯子が掛けられて登ることができる。
ここから撮影された東と南に伸びる曲輪群は良く写真で見る景色だ。
- 城主
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太田垣氏,桑山重晴,赤松広秀
- 案内
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城址のすぐ近くまで車で登れます。
城址から国道312号線に降りる途中の線路の手前を右折すると観光案内センターがあり、竹田城に関する資料が展示されています。
パンフレットやグッズの販売も行われているので立ち寄って行くといいでしょう。
国道312号線を挟んで向こう側にある朝来山に登ると天空に浮かぶ城の写真を撮ることができそうだ。
- 所在地
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兵庫県朝来市和田山町竹田(虎臥山)
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※距離はおおよその直線距離です。 海・川・山などの地形および交通手段は全く考慮していません。
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- 最終訪問日
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2006年7月
- 縄張図
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現地案内板より
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