慶長2年(1597年)に築かれた。築城は毛利秀元、小早川秀秋で守備は黒田長政が担った。
文禄の役の和睦交渉が決裂して慶長の役が起こると梁山倭城、順天倭城、蔚山倭城などが前線の城として築かれた。戦闘が激化して戦線が維持できなくなると、諸将は談合して戦線の縮小を秀吉に願い出たが基本的に許されなかった。しかし、梁山倭城は亀浦倭城を修築して廃城とすることを許され、戦線を後退した。
梁山倭城は慶尚南道指定文化財資料第267号に指定され、現在は登山道が整備されている。
山頂の主郭から北東、南東方向に伸びた山の主尾根に曲輪が連なっており、先端に出丸となる西曲輪II、東曲輪IIIを設けているが尾根部分は側面に石垣を用いるものの曲輪は自然尾根が中心となっている。北山腹には大規模な横堀がある。
主郭は東西に虎口があり、虎口に隣接する北東隅に天守台を設けている。曲輪の規模はあまり大きくない。
西曲輪IIも石垣で固められており西端に虎口がある。石垣の外側に円形に溝が切ってあるが、これは近代の塹壕のようである。
東出丸III、山腹の曲輪IVは未確認。
登口はいくつかあるが、北東側にある公園から寺院に上がり、そこから鞍部を経て尾根伝いに登る道がついている。反対の南西側は民家の間の細い道がある。
釜山地下鉄2号線 甑山駅(チュンサン/증산역)から徒歩で行ける。寺入口にある公園に駐車場、トイレがある。