16世紀前半に朝鮮王朝によって築かれた。鎮城は朝鮮王朝の水軍の基地で倭寇を取り締まるために設けられた。
文禄の役では日本軍によって落城している。北虎口が日本軍によって改修されたのではないかとの説がある。日本軍が撤退したのちは再び鎮城として利用された。
天城鎮城は加徳島の中央西側にあり、西へ緩やかに下る地形に築かれており、釜山広域市記念物第34号として整備されている。
朝鮮の鎮城で東西二郭、西郭が主郭であるが、東郭のほうがやや高い。城壁には城門、甕城(おうじょう)、稚城(ちじょう)など確認できる。
主郭は南北に長い長方形で、西門、南門、北門があるが、東の二郭側には門がない。 このうち西門と南門は外側に半円形の甕城(おうじょう)であるが、北門は塁線が食い違っており枡形状になるもので、この部分が日本軍によって改修されたところではないかとも云われている。この北辺部分は西側の塁線は直線ではなく緩やかな弧状を描き、南へ折れている部分は北端と南端に櫓台状の拡がりがある。
内部は畑などに利用されていたので改変も多いようだが、東側が一段高くなっている。
東郭は主郭より小さく、北辺は主郭の延長線上にあるが南辺は主郭より小さい。門跡は確認できず、主郭の城壁側は低く堀状になる。
釜山地下鉄1号線 下端駅(ハダン/Hadan/하단역)から巨済島(こじぇとう)に向かう2000番のバスが使える。このバスは下端駅から乗車するときに下車する場所(チョンソン/Cheonseong/천성)を運転手に伝える必要がある(料金が違う?)。