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写真館(12枚)
- 形態
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山城(240m/40m)
- 歴史
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築城年代は定かではないが文保年間(1317年〜1319年)島津資久によって築かれたと云われる。
資久は島津忠宗の五男で文保2年(1318年)樺山地方三百町を譲られ樺山氏を称した。
明応4年(1495年)には伊東氏の所領となり加江田氏を城主とし、後永正17年(1520年)荒武藤兵衛を城主として改修させ、北郷氏の侵攻を破った。
しかし、天文元年(1532年)には北郷氏に破れ、豊臣秀吉の九州統一後は伊集院氏の所領となったが、庄内の乱の後、元和の一国一城令により廃城となった。
- 説明
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空堀と土塁が残存しているようだが、薮に覆われはっきりしない。
内部は農地と山林になっている。
- 城主
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島津資久,加江田氏,荒武藤兵衛,北郷氏,伊集院氏,島津氏
- 所在地
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宮崎県北諸県郡三股町蓼池字勝岡
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- 最終訪問日
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2007年8月
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