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写真館(10枚)
- 形態
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平城
- 歴史
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築城年代は定かではないが田尻の支城で城主は田尻大蔵と云われる。
天正9年(1581年)柳河城主蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われ、佐嘉に赴いた所を謀殺される。
田尻氏は蒲池と同族であったが、龍造寺氏に従い蒲池氏一族を滅亡に追いやった。
しかし天正10年(1582年)田尻氏は龍造寺氏に反旗を翻し、本城の鷹尾城を中心に江浦城・浜田城・津留城・堀切城の各支城を固めた。
龍造寺氏は直ちに軍を発し攻め寄せたが落とせず、一部の兵をもって支城を攻略させたが失敗し一年余りの籠城の末、有馬氏が島津氏と組み肥前侵攻する気配があった為、和議を結び引き上げた。
- 説明
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浜田天満宮の西側にある個人宅周辺が字古城で城跡といわれる。
宅地部分が微高地となっており、その周囲に濠跡とも思える水路や低地の田がある程度で遺構らしきものはない。
- 城主
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田尻大蔵
- 所在地
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福岡県みやま市瀬高町濱田
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- 最終訪問日
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2007年12月
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