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写真館(15枚)
- 史跡指定
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市指定史跡
- 別名
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柳川城
- 形態
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平城
- 歴史
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築城年代は定かではないが、蒲池治久によって築かれたと云われる。
蒲池治久は蒲池城の支城として柳河城を築き、後に蒲池氏の本城となった。
天正9年(1581年)蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われ、佐嘉に赴いた所を謀殺されると龍造寺氏の支配下に置かれた。
天正15年豊臣秀吉による九州征伐の後に、立花宗茂が十三万二千石で柳河城に入ったが、関が原合戦で西軍に属し、敗戦後大坂を脱して帰国するとそのまま籠城して抵抗したが、黒田如水・加藤清正の説得に応じて開城した。
その結果宗茂は浪人となるが慶長8年(1603年)陸奥国棚倉城で一万石をもって大名に復帰した。
立花氏に変わって三河国岡崎城から田中吉政が三十二万石で入封、この田中氏によって柳河城は近世城郭として大改修され、天守が設けられた。
しかし田中氏は忠政に嫡子なく断絶となり、筑後国北部を有馬氏に、南部2郡は立花宗茂に与えられ以後明治に至る。
- 説明
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天守は明治になっても存続していたが、明治5年(1872年)1月18日に火災により焼失した。
現在は柳城中学校と柳川高校の敷地となっており、柳城中学校の運動場の一角に石垣を伴う丘が残されているのみである。
- 城主
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蒲池氏,龍造寺氏,立花宗茂,田中氏,立花氏
- 所在地
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福岡県柳川市本城町(柳城中学校)
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- 最終訪問日
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2007年12月
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