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写真館(8枚)
- 史跡指定
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市指定史跡
- 形態
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平城
- 歴史
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天文17年(1548年)田尻親種によって築かれた。
親種は風水害により田尻城に不都合が生じた為、鷹尾城を築き本城を移したという。
天正9年(1581年)柳河城主蒲池鎮漣は龍造寺隆信に猿楽の催しに誘われ、佐嘉に赴いた所を謀殺される。
田尻氏は蒲池と同族であったが、龍造寺氏に従い蒲池氏一族を滅亡に追いやった。
しかし天正10年(1582年)田尻氏は龍造寺氏に反旗を翻し、本城の鷹尾城を中心に江浦城・浜田城・津留城・堀切城の各支城を固めた。
龍造寺氏は直ちに軍を発し攻め寄せたが落とせず、一部の兵をもって支城を攻略させたが失敗し一年余りの籠城の末、有馬氏が島津氏と組み肥前侵攻する気配があった為、和議を結び引き上げた。
柳河城に立花氏が入封すると家臣立花織部介が城主となり、立花氏改易の後入封した田中氏の時には家臣宮川才兵衛門が城主となったが、田中氏改易により廃城となった。
- 説明
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矢部川の西岸、泰仙寺橋の北側が城址である。
土塁跡が残っているといい、それらしきものが畑の中にあったが土塁跡かどうかは不明。
田尻親種の墓碑が残されている。
- 城主
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西側から泰仙寺橋へ続く道の北側に土手下を走る道があり、そこに案内板がある。
- 所在地
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福岡県柳川市大和町鷹ノ尾字七ツ家
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- 最終訪問日
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2007年12月
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