河尻塚かわじりづか
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織田信長の家臣河尻秀隆の首塚あるいは屋敷跡とも云われている。
天正10年(1582年)武田氏を滅ぼした織田信長は穴山領を除く甲斐一国と信濃国諏訪郡を河尻秀隆に与えた。しかし、わずか2ヶ月ほどで本能寺の変が起こり、秀隆は蜂起した国人一揆によって討ち取られてしまった。
河尻塚は北部幼児教育センターの西側にあり、「河尻肥後守霊碑」と刻まれた碑がある。この碑は大正5年に建立されたものであるが、川尻秀隆は「肥前守」が正しい。北部幼児教育センターに駐車可能であり、信玄公の墓とともに看板がある。