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甲斐国分寺国史跡
山梨県笛吹市一宮町国分甲斐国分寺は笛吹市一宮町国分、中央道一宮御坂ICの北東側一帯に築かれていた。
発掘調査によって伽藍の配置が確認されている。南北に南門・中門・金堂・講堂・僧房と並び、金堂から中門に廻廊が巡る。この回廊...
甲斐国分尼寺国史跡
山梨県笛吹市一宮町東原甲斐国分尼寺は国分寺の北600m程の所に築かれていた。発掘調査によって金堂・講堂が検出されたが、それ以外はまだ確認されていない。この寺の周りから「法寺」・「花寺」の文字が書かれた土器が出土しており、国...
甲斐国府
山梨県笛吹市御坂町国衙東海道に位置する甲斐国は、延喜式の格付けでは上国・中国である。
甲斐国府は平安時代末期には八代郡にあったことが「和名抄」によって知られており、現在の笛吹市御坂町国衙と推定されている。しかし、旧山梨郡...
穴山氏の墓(満福寺)市史跡
山梨県韮崎市穴山町曹洞宗大龍山満福寺の境内に穴山氏の墓がある。寺伝では穴山信君の墓と伝えられているが、穴山氏の祖、穴山義武、満春の墓ではないかと考えられている。
穴山義武は武田系穴山氏の祖で、甲斐守護職武田信武の...
城古寺宝篋印塔市文
山梨県山梨市牧丘町城古寺319二階堂道蘊と足利尊氏の供養塔と伝えられる宝篋印塔二基が城古寺地区にあり、これが「字石塔」の由来となっている。
二階堂道蘊(貞藤)は鎌倉時代の御家人で、牧庄の主であった。
武田信玄公墓(甲府市)
山梨県甲府市岩窪町案内板によれば、この辺りは武田の重臣土屋右衛門昌次の邸内で、武田信玄を荼毘に附した場所と伝えられる。江戸時代の安永8年(1779年)に甲府代官中井清太夫が発掘して石棺を見つけ、「法性院機山信玄大居士 ...
河尻塚市史跡
山梨県甲府市岩窪町268織田信長の家臣河尻秀隆の首塚あるいは屋敷跡とも云われている。
天正10年(1582年)武田氏を滅ぼした織田信長は穴山領を除く甲斐一国と信濃国諏訪郡を河尻秀隆に与えた。しかし、わずか2ヶ月ほどで本...
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