渡辺飛騨守宝篋印塔わたなべひだのかみほうきょういんとう
△トップに戻る
渡辺飛騨守長は安芸毛利氏の譜代家臣で、毛利元就、隆元、輝元の三代に仕えた。 慶長5年(1600年)毛利輝元は関ケ原合戦に敗れて防長二カ国に減封となり、渡辺氏は玖珂郡広瀬村、湯野村や長門の厚東郡などで五千石ほどを賜り朝霞城を居城とした。
渡辺飛騨守宝篋印塔は渡辺飛騨守長とその正室、嫡子渡辺土佐守元の墓である。