伊東塚いとうづか
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元亀3年(1572年)伊東義祐は薩摩島津氏領の日向国真幸院への攻め込んだが、飯野城主であった島津義弘率いる少数の軍勢によって大敗を喫した。この木崎原の戦い(加久藤合戦とも)で討死した伊東氏の大将伊東加賀守ら戦死者二百余名を葬ったのがこの伊東塚である。
伊東塚は小林高校の北側にある墓地の一角にあり、現在は県指定史跡となっている。