相良義陽の墓さがらよしひのはか

城郭放浪記


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相良義陽の墓の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
市指定史跡
説 明

相良義陽は球磨郡の国人領主相良氏18代当主で島津氏と争っていたが、天正9年(1581年)に降伏する。その後、島津氏と敵対していた阿蘇氏攻めを命ぜられ、響ヶ原(響野原)で阿蘇氏の武将甲斐宗運と戦い討死した。

古麓町にある相良義陽の墓は首塚と伝えられており、鹿児島本線の建設で現在地に移されている。墓は鉄道の線路を越えた山側にあり、フェンスは鉄橋のすぐ下に開口部が設けられている。

案 内
最寄り駅(直線距離)
2.0km 八代駅
2.4km 肥後高田駅
2.5km 段駅
3.3km 新八代駅
5.0km 千丁駅
所在地/地図
熊本県八代市古麓町
付近の史跡(直線距離)
1.1km 懐良親王御墓
4.1km 松濱軒
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