天草四郎乗船之地あまくさしろうじょうせんのち
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寛永14年(1637年)島原の一揆に呼応して天草でも天草四郎を仰いだ一揆が蜂起する。天草の一揆は本渡で富岡城代であった三宅藤兵衛を討ち取り、その勢いに乗じて富岡城を落城寸前まで追い詰めたが、幕府が派遣した討伐軍が迫ったため攻略を断念、島原の一揆に合流するため、島原半島へと渡海した。このとき一揆軍がこの辺りから渡海したと伝える。
一揆軍は島原半島で廃城となっていた原城を修築して籠城し幕府軍の攻撃を防いだが、寛永15年(1638年)兵糧などが尽き落城、鎮圧された。