安芸国虎の墓(浄貞寺)あきくにとらのはか
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安芸国虎は安芸城主であったが、永禄12年(1569年)長宗我部元親によって安芸城が落城寸前まで攻め込まれたため、家臣領民の助命を嘆願して菩提寺である浄貞寺に入り自刃した。
安芸国虎を追って多くの家臣が殉職、家老の有沢石見守は介錯の後に殉死、同じく家老の黒岩越前守は国虎の奥方(一条房基の娘)を一条家に送り届けた後に殉死した。
安芸国虎の墓は菩提寺である浄貞寺の境内にあり県指定史跡となっている。境内にある安芸家墓所には国虎をはじめ殉職した家臣、国虎の祖父安芸元親、父安芸元泰の墓がある。