△トップに戻る
土佐国府県史跡
高知県南国市比江南海道に位置する土佐国は、延喜式の格付けでは中国・遠国である。
国庁は長岡郡に置かれ、現在の南国市比江に位置する。
現在は田畑の中に「土佐国国衙跡」の石碑が建ち、北側には国司館跡として紀貫之邸が公...
土佐国分寺国史跡
高知県南国市国分土佐の国分寺は現在は真言宗のお寺で、四国八十八箇所霊場二十九番札所になっている。建立時期は不明であるが平安時代初期と考えられており、平安時代後期には焼失しており、その後も兵火や災害などで荒廃していった...
長宗我部元親の墓県史跡
高知県高知市長浜長宗我部元親は土佐の戦国大名で、天文8年(1539年)長宗我部国親の嫡男として岡豊城に誕生したと云われる。永禄3年(1560年)長浜合戦で初陣を飾り、家督を継ぐと土佐を平定。その後は四国全土に兵を進め...
長宗我部元親初陣の像
高知県高知市長浜長宗我部元親は土佐の戦国大名で、天文8年(1539年)長宗我部国親の嫡男として岡豊城に誕生したと云われる。永禄3年(1560年)長浜合戦で初陣を飾り、家督を継ぐと土佐を平定。その後は四国全土に兵を進め...
長宗我部元親愛馬の塚
高知県高知市長浜長宗我部元親の墓の近くに『愛馬の塚』がある。これは元親が豊臣秀吉から賜った名馬内記黒の塚で、天正14年(1586年)戸次川合戦で大敗を喫したさい、島津の追っ手をこの馬のおかげで逃げ切ったといわれる。
...
戸ノ本古戦場
高知県高知市長浜永禄3年(1560年)長宗我部元親の初陣となった合戦で、朝倉城の本山茂辰と長宗我部国親・元親父子が戦い長宗我部氏が勝利した。
公園の一角に戦死者を葬った塚と伝えられる石碑がある。
一領具足供養の碑
高知県高知市浦戸慶長5年(1600年)関ヶ原合戦で土佐の長宗我部盛親は西軍に与して改易となり、代わって山内一豊が土佐一国に加増され、遠江国掛川より入部した。しかし、浦戸城に残る長宗我部の旧臣は明け渡しを拒み、五十日も...
長宗我部信親墓所
高知県高知市長浜(雪蹊寺)長宗我部信親は土佐の戦国大名長宗我部元親の嫡男で、永禄8年(1565年)に誕生した。
天正13年(1585年)長宗我部氏は四国をほぼ手中に治めていたが、豊臣秀吉の四国征伐に敗れて土佐一国を安堵された...
安芸国虎の墓(浄貞寺)県史跡
高知県安芸市西浜(浄貞寺)安芸国虎は安芸城主であったが、永禄12年(1569年)長宗我部元親によって安芸城が落城寸前まで攻め込まれたため、家臣領民の助命を嘆願して菩提寺である浄貞寺に入り自刃した。
安芸国虎を追って多くの...
平田太郎俊遠の墓
高知県宿毛市平田町黒川平田太郎俊遠は平家の家人で平田城主であった。源頼朝が挙兵したとき、土佐に配流されていた頼朝の弟である源希義を蓮池家綱とともに討ちとった。しかし、平家を滅ぼした頼朝は梶原朝景らの大軍を派遣し、平田俊遠は...
紀夏井邸県史跡
高知県香南市野市町母代寺491不明
山田氏墓所(予岳寺)
高知県香美市土佐山田町楠目2773-1墓碑
Copyright(C) 2003-2023,By PEI.