島津家久の墓(梅天寺跡)しまづいえひさのはか

城郭放浪記


△トップに戻る

TOP > 鹿児島県 > 島津家久の墓(梅天寺跡)
Tweet
島津家久の墓(梅天寺跡)の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
市指定史跡
説 明

島津家久は島津貴久の四男で島津義久、義弘の弟である。日向国佐土原城主であったが、天正15年(1587年)に急死した。

佐土原藩は島津家久の子豊久が継いだが、関ヶ原合戦で討死し佐土原藩は消滅、豊久の弟忠仍が家督を継ぐことになったが、病弱を理由に辞退し、喜入忠続の子・忠栄が養子に迎えられ永吉島津家として再興された。

島津家久の墓は梅天寺跡(ばいてんじ)に残されており、現在は公園となっている。近くには永吉島津家墓所(天昌寺跡)もある。

島津家久の墓(梅天寺跡)の写真
5:島津家久の墓
島津家久の墓(梅天寺跡)の写真
2:梅天寺跡
案 内
最寄り駅(直線距離)
9.3km 伊集院駅
9.9km 薩摩松元駅
所在地/地図
鹿児島県日置市吹上町永吉
付近の史跡(直線距離)
0.6km 永吉島津家墓所(天昌寺跡)
TOP > 鹿児島県 > 島津家久の墓(梅天寺跡)