吉川千法師と乳母の墓きっかわせんほうしとうばのはか
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吉川千法師は吉川興経の子で、天文19年(1550年)吉川興経が幽閉先の館で毛利元就によって襲撃され興経とともに討ち取られた。
吉川千法師と乳母の墓は興経の館から東に少し離れた場所にあり、ちょうど芸備線のトンネルの上にある。トンネルの西側の辺りに山上に登る階段があり、入口に道標が出ている。墓は吉川興経の胴墓や首塚と同じく塚として残されている。