少弐景資の墓しょうにかげすけのはか
△トップに戻る
少弐景資は大宰少弐資能の三男で、文永と弘安の二度に渡る蒙古襲来に対して大将軍として九州御家人の指揮に当たった人物である。
弘安8年(1285年)の霜月騒動が起こると安達盛宗とともに岩門城に挙兵するが、北条得宗家方の兄少弐経資によって攻められ岩門城で敗死した。
少弐景資の墓は岩門城の西麓にある。高津神社の参道に向かう十字路を曲がらずにまっすぐ南へ進んだ所にあり、「正四位少弐景資公之墓」として五輪塔が残っている。