朝倉義景の墓(義景公園)あさくらよしかげのはか
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朝倉義景は越前国一乗谷を拠点とした戦国大名であったが、天正元年(1573年)織田信長に敗れて一乗谷を逃れ大野へと逃れてきたが、一族の朝倉景鏡の裏切りによって六坊賢松寺で自刃へと追い込まれた。
大野市役所の西隣に朝倉義景の墓がある。義景の墓の近くには殉死した高橋景倍と鳥居景近の墓がある。公園になっており義景庵という休憩施設も建っている。