菅江真澄は江戸時代後期の旅行家である。宝暦4年(1754年)三河国渥美郡の出身で本名は白井秀雄、文化7年(1810年)から菅江真澄と称した。
信濃、越後、出羽、陸奥、蝦夷など諸国を歴訪して『菅江真澄遊覧記』とも称される書物にまとめている。享和元年(1801年)に久保田藩に迎えられ、以降は藩の要請で秋田六郡の地誌を編纂する。
菅江真澄の墓は古四王神社から西へ進んだ所にある。秋田をはじめ、東北地方を巡ると至る所に「菅江真澄」の名を記した案内板が設置されているのを目にする。そのような人物の御墓が秋田にあったことをたまたま知った訳であるが、こうして参拝することができてうれしい。