天正19年(1591年)毛利高政によって築かれたと云われる。
豊臣秀吉による文禄・慶長の役で、対馬にいた軍監毛利高政によって築かれたと云われる。文禄元年(1592年)小西行長・宗義智らの軍勢は大浦湾を発して朝鮮に渡った。
撃方山城は対馬の最北端に近い大浦湾の東に聳える標高174mの山に築かれている。
主郭は山頂で円形の小さな土壇の周囲を一段さがって帯曲輪が取り巻く。さらに北尾根に一段、南西尾根に二段の腰曲輪がある。南東尾根に降った所に石垣があり、北側が通路のようになっている。
主郭から南東へ進んだ峰に広い曲輪があり、ここも城域と思われるが、さらに南東側は自然地形となり堀切などはない。
西の県道から南西尾根上までよじ登れば、尾根伝いに主郭に行くことができる。尾根上まで登るのが急坂で厳しい。下山時に南端まで行ってみたが、南は崖、東は民家の敷地内で降りられず。