天正19年(1591年)毛利高政によって築かれたと云われ、近くの撃方山城と似た名前を持つ。
内方山城は大浦湾の南にある標高92mの山に築かれていたという。
『長崎県中近世城館跡分布調査報告書』に撃方山城とともに図面が掲載されていたので登ってみたが、山頂部は曲輪と呼ぶにはあまりに狭くほぼ自然地形である。ただ、山頂部は風化しやすい地質のようである。
図面にはないが、北の山腹にやや広い緩斜面があり、この部分を活用していたのかもしれない。
北尾根西側に墓地があり、その南端辺りから山に取り付くことができる。