築城年代は定かではないが和田氏によって築かれたと云われる。 和田氏は相模国三浦一族の和田義盛の後裔を称し、讃岐を経て土佐へ入り定住したという。
戦国時代の和田義光は長宗我部元親に従っている。
和田本城は標高695.3mの三角点のある山に築かれており、現在は東八幡宮境内や公園となっている。
主郭は東八幡宮境内となっており、現状iとiiの東西二段で北と東に分厚い土塁が巡っており、南にはiiiの削平地が張り出している。北には虎口と思われる開口部があり、そこから北東に土塁のついたスロープが続き、やがて東へ向かって横堀状に伸び、東端では堀切となって南の崖地形に伸びている。この堀状地形は参道や虎口への通路とも考えられるが、東端が堀切となって崖地形に伸びていることを考慮すると空堀とも考えられる。この横堀状地形には支城とされる和田西城にも確認できる。
空堀の上、主郭から東へ伸びた尾根はivが明確な腰曲輪となっている以外は緩斜面の尾根で先端はやや削平された感がある。ただ南側面には比較的急斜面でありながら畝状竪堀群1が確認できる。
和田集落へは早明浦ダムの南側の道路から須山を経て車道が続いている。旧和田小学校の上のあたりに和田城、和田西城の道標がでており、その上の分岐を東へ登って行けば和田本城のある公園の駐車場にたどり着く。