築城年代は定かではないが惟宗氏によって築かれたと云われる。惟宗氏は安芸城主安芸氏の庶流とされ、室津別府に住んだのが始まりで室津氏とも称した。
天正2年(1574年)惟宗半三郎政長のとき長宗我部元親の軍勢に攻められて降伏した。惟宗政長の嫡子惟宗右衛門は天正14年(1586年)豊後戸次川合戦で討死した。
室津城は室津港から室津川に沿って少し内陸に入った所にあり、室津八幡神社の北背後に聳える標高90m程の山に築かれている。また室津川の河口には南北にそれぞれ浮津城と室津浦城という出城を構えていた。
主郭は山頂にあり東西にやや長く切岸は高い。ここにはかつて惟宗神社が祀られていたようで、その跡が残されているが現在は室津八幡神社の所に移されている。
主郭の北西背後には四重堀切7、東尾根には曲輪I2の先に三重堀切9、南尾根は三重堀切6とすべて多重の堀切で遮断してある。東端北尾根部分は遊歩道で削られているので旧状は判然としないが、堀切8になっており、外側に若干の竪堀地形がある。また東側面には竪堀群というより、竪土塁といったほうが適切な遺構が確認できる。
主郭の南峰は南東と南西に分岐しているが、南東側の尾根には三条の堀切1、2、3が確認できる。
南西尾根側には土塁地形を残した曲輪IIの先に堀切4があり、さらに先に曲輪III、IVと曲輪状地形が続くが、南西に進むにつれて畑地の改変が大きくなっていく。
主郭から南へ続く尾根にはくくり罠が数多く設置されているので、誤ってかからないよう足元には十分注意すること。
室津八幡宮のところに駐車可能で、適当に東側の尾根上に上がると尾根道がある。
近年主郭に案内板がたってベンチもつけられたようで、そのとき整備された道は北側に付けられている。室津郷公会堂にコースの案内板があるので、それにしたがって登る事になるが、下山で利用した限り分岐が多く道標がでていなかったので正しいルートで下山できなかったようだ。こちら側も川の東側に駐車場が用意されている。