文政8年(1825年)土佐藩によって築かれた台場である。 天保13年(1842年)5月に松平土佐守の御巡覧があったと「鹿島神社記録」に記されている。 この松平土佐守は土佐藩主山内氏であり、当時の当主とすれば十二代藩主山内豊資であろう。土佐清水市のページには山内望遠公とあるが、山内豊資のことなのか調べてもわからなかった。
鹿島砲台は清水港の最奥に半島状に付きだした鹿嶋神社の鎮座する小山に築かれていた。 鹿嶋神社の本殿の右奥の南端部に堀切状の地形があり、ここが大筒場跡だという。その右側に火薬車跡が残っているというが、現状ではさっぱりわからない。