詳細不明。城主は川村(河村)兵庫介と伝えられる。
川村氏は近衛家を出自とし、阿波を経て土佐に入り、大河内村に住んで開発領主となったと伝えられ、戦国時代には本山氏に従っていた。
吉原城は樫ヶ峰から西へ伸びた尾根の標高812mの地点に築かれている。
単郭の城で、主郭は東西にやや長い楕円形の曲輪で土塁が囲繞し南方に虎口を開く。虎口は平入で脇には一部石が露出している。
土塁の外側は帯曲輪状地形がさらに囲繞しているが、外側の切岸は甘く、ところどころ窪んでおり横堀であった可能性が高いと思われる。こういった円形で土塁と横堀が囲繞するタイプの城は徳島県の山間部でも見ることができる。
西側に県道があり、峠の南から続く林道が城跡のすぐ南下を通っている。林道入口に駐車可能。