築城年代は定かではない。
元亀年間(1570年〜1573年)籾井城主籾井綱重が隠居して移ったのが安口城と云われる。 綱重は波多野秀治の妹を娶った人物で、次男籾井正綱を引き連れて隠居した。
天正5年10月(1577年)織田信長の部将明智光秀が大軍を率いて丹波国へ侵攻し、安口城は落城。綱重は落城の際に肩に銃弾を受けて山伝いに逃れ、後に京へ上ったという。
安口城は籾井川の北岸にあり、大手とされる谷を挟んで東に安口城、西に安口西砦がある。
北から南へ伸びた丘陵にあり、中央の一番高いところが主郭となる。現在の登山道は大手からつづら折れで登り、主郭の北西にある虎口に直接繋がっている。この虎口は枡形状になっており、土塁は食い違っている。
主郭から南東へ段曲輪が続いているが、南端に堀切はない。一方北背後は堀切を挟んで南北二段の北郭があり、さらに三重堀切を設けている。
駐車場はない。橋を渡って大手とされる谷に入って行くと炭焼き窯跡があり、そのあたりから登山道が付いている。