詳細不明。『大蔵の山城』によれば、地元では中山城あるいは阿曽沼氏砦とも呼ばれており、10世紀に藤原氏が築いたのが始まりという。『但馬の中世史』では阿曽沼氏の城ではないかとしている。
法道寺城は法道寺の西背後の標高220mほどの山に築かれており、現在は登山道が整備されている。
堀切を挟んで東西二郭で、西側が主郭となる。
主郭は東西に長く概ね北側を高土塁で囲んでおり、内高1m~2m、西端が最高所になる。中央の南北に虎口、南東隅にも開口部があるが、後世の改変のようである。
南の虎口1は西側に張出があり、虎口1と曲輪I4に横矢が掛けられる。この部分に礫石のような集石がある。北の虎口2は平入で出た先に塚状の土壇がある。
東の曲輪IIは堀切に面した南面以外ほぼ土塁で囲んでおり内高は1m弱。北端が開口するが大師道による改変である。堀切はないが、両脇に竪堀状地形4、5が確認できる。虎口は南端の虎口3で東の旧大手道からのルートがある。
登口は法道寺にある。駐車場の奥に大師道の入口があり、最初の分岐は右に進む。
最寄り駅(直線距離)