築城年代は定かではないが室町時代に村上吉敏によって築かれたと云われる。
能島村上氏の村上義顕の子村上吉敏によって築かれ、代々村上氏によって上関を通行する船舶から通行税を徴収するための拠点となった。
天文20年(1551年)大内義長から将軍家への進納の米二千石を積んだ船は、宇賀島水軍の警護を受け通行税を払わずに航行すると、三島村上水軍はこれを安芸国蒲刈にて迎撃した。大内義長は上関より村上氏を追い出して宇賀島水軍に守らせたが、間もなく村上氏が奪還して再び村上氏の所領となった。
城は上関役場の北にある瀬戸内海に突出した半島に築かれている。
現在は発掘調査の後に「上関城山歴史公園」となって整備されているが、ほとんど城らしさを残していない。「日本城郭体系」の記述によればいくつかの平坦地があって所々に石垣が残存していたようである。