信濃 海尻城しなの うみじりじょう

城郭放浪記


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信濃 海尻城の写真
掲載写真数
形態
山城(1090m/50m)
別 名
なし
文化財指定
なし
遺 構
郭,堀
城 主
井出長門守,村上氏,武田氏
歴 史

築城年代は定かではないが井出長門守によって築かれたと云われる。 井出氏は前山城主伴野氏の家臣という。

その後、村上氏の家臣薬師寺右近・多知三多兵衛・小沼川舎人亮等が守将となり武田氏に備えていた。

天文5年(1536年)甲斐の武田信虎が海尻城へ攻め寄せたが村上義清は屋代正重・室賀満氏・小野沢清永等を援軍として派遣しこれを退けた。天文9年(1540年)には武田氏の武将板垣信方が攻め寄せ、この時も城兵は堅く守って攻め手を寄せ付けなかったが、信方は一旦囲みを緩め退却すると見せかけて城兵を油断させ、一気に攻め寄せてこれを落としたという。村上義清はこの報を受け直ちに海尻城へと迫り、海尻城はくじ引きで当たったという小山田昌行(一説に父昌辰)が本丸、小山田昌時が二の丸、長坂国清が三の丸を守っていたが、義清はもう攻撃をしかけ三の丸・二の丸を落とし本丸まで攻め寄せたが、急の知らせを受けた武田氏の援軍により落城を免れたという。

説 明

城は千曲川の西岸にあり東へ伸びた丘陵の先端の愛宕山に築かれており、北に大月川、南に新殿川が千曲川に流れ込んで天然の濠となっている。

主郭は愛宕山山頂にあり、西の日向山へ通じる尾根に堀切、東に二段の曲輪がある。 日本城郭体系などの縄張図では、この山上の曲輪をそれぞれ本丸・二の丸・三の丸としているが、案内板によれば、山上が本丸・東の殿岡地区が二の丸・医王院から諏訪神社付近が三の丸とされている。

案 内

国道141号線沿いにある海尻郵便局の西にある医王院に登り口があり、国道沿いに少し南へ行った所にある「南牧村基幹集落センター」の所に案内板が設置されている。

最寄り駅(直線距離)
0.3km 海尻駅
2.2km 松原湖駅
2.9km 佐久海ノ口駅
5.4km 小海駅
6.0km 佐久広瀬駅
所在地/地図
長野県南佐久郡南牧村大字海尻字殿岡
付近の城(直線距離)
2.0km 信濃 松原城
2.3km 信濃 海ノ口城
4.9km 信濃 根小屋烽火台
4.9km 信濃 見張城
5.9km 信濃 広瀬城
6.3km 信濃 火燈城
7.7km 信濃 天神山砦
7.8km 信濃 相木城(北相木村)
7.9km 信濃 本間城
8.5km 信濃 丸岩城
8.6km 信濃 本間下の城
8.9km 信濃 馬越城
最終訪問日
2009年5月
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