築城年代は定かではない。
天文5年(1536年)甲斐武田勢は平賀源心成頼らの籠る海ノ口城を攻めたが落とすことはできず、退却する際この合戦が初陣であった嫡子晴信(後の武田信玄)は殿を申し出た。攻め手が退却する様を見て城兵は酒を飲み油断していた所を、退却すると見せかけた晴信率いる小勢が急襲して平賀源心以下城兵を討ち取って海ノ口城を落とした。この海ノ口合戦は甲陽軍艦で武田信玄の初陣の功名として記載されているのだが、事実であったかどうかは定かではない。
城は標高1357.7mの城山の西の尾根の頂部にあり、大芝峠の東に位置する。
単郭に近い山城で尾根に数条の堀切を設けている。主郭の東の堀切は規模も大きく良く残っているが、その他の堀切は浅い。
海ノ口駅から国道141号線を500m程を北上して東へ曲り、橋を渡って突き当たりを左へ。道標にしたがって進むと登山口があり、そこに駐車できる。
最寄り駅(直線距離)