築城年代は定かではない。
戦国時代には大井氏の属城であったが、天文12年(1543年)甲斐の武田信玄によって攻略され、大井氏は捕らえられた。以降、武田氏の北信、東信攻略のための拠点として活用された。
長窪城は依田川とその支流との間に南北に伸びた比高80m程の山に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。
主郭は山頂にあり東屋が建っている。北東の尾根が搦手で、こちらには五条の堀切を設けて遮断している。大手である南は堀切の先に南曲輪群があるが、どれも不明瞭な低い段差の曲輪群である。
居館は西麓の神社のある一段小高くなったところである。大手はここから南の谷筋を入って登って行くが、その途中に馬屋跡とされる平場がある。
大手は西麓にあり案内板がある。搦手は北東の尾根上まで車で行くことができ、堀切を見ながら主郭まで行くことができる。何れも登口に駐車できる。
南曲輪群がキノコ山でありシーズン(概ね9月から11月)はトメ山となる。搦手から主郭まではこの時期でも歩けるようだ。