築城年代は定かではないが三浦氏によって築かれたと云われる。
永正年間(1504年〜1521年)に三浦道寸は相模に進出してきた伊勢早雲と対立し、岡崎城を奪われ、やがて嫡男義意の守る新井城へと押し込まれた。三浦氏は新井城に籠もって三年にわたって抵抗したが、永正13年(1516年)激戦の末に落城し三浦氏は滅亡した。
新井城は小網代湾と油壺湾の間を西へ張り出した岬に築かれている。 現在は大半が油壺マリンパークや東京大学の敷地となっている。
新井城は半島を使って築いた大規模な城で、東端は現在も地名として残る「引橋」という場所で、かつてここには大きな堀切があり、橋を架けていた。さらに城内にも同様な施設が複数あったと云われ、一番内側が「内の引橋」と呼ばれる所であった。
本丸は東大の敷地となって立ち入りできないが、縄張図を参考にすると土塁囲みの大きな曲輪で、北中央に櫓台が張り出し、外側に大きな横堀を設けているようである。この横堀と櫓台の張り出しは東側の道路から見ることができる。
マリンパークの入口を北へ進んで少し降ると三浦道寸の墓があり、降り口の脇には最後の当主三浦義意の墓と新井城碑がある。
観光者用の有料駐車場がある。
最寄り駅(直線距離)