大永年間(1521年〜1528年)に佐治備中守為繩によって築かれたと云われる。 為繩は大野城主佐治駿河守宗貞の弟で岡部城を築いて内海佐治氏の祖となり、八千貫を領したという。
為繩は天文十七年(1548年)に没し、遺領は嫡子佐治九兵衛為成が継いだ。 為成は天正18年(1590年)織田信雄の転封に伴い浪人となり、後に池田輝政に仕えたという。
岡部城は千鳥ヶ浜の北にある城山に築かれている。城山は「風呂谷」を囲むようにuの字状になっている。
城山の南側の尾根上に東西二郭の曲輪があり、西の曲輪が主郭とみられ北から西側にかけて土塁が残っている。東の曲輪との間は土橋状の細尾根で、東の曲輪は削平されているだけで土塁はない。
城山の麓の道を北側へ回り込んだ所に谷に向かって入っていく道がある。これを少し進んだ所に左側の山へ入っていく山道があり、これを登れば尾根上に達する。
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