築城年代は定かではないが永原氏によって築かれたと云われる。
この辺りは六角氏の被官馬淵氏の支配地で、永原氏は馬淵氏の家臣であったが、文亀年間(1501年〜1504年)の頃が次第に永原氏の勢力が増し、大永年間(1521年〜1528年)頃には六角氏の被官となっていた。
小堤城山城は辻ダムの東に聳える標高286mの山に築かれている。現在は登山道が整備されている。
小堤城山城は山頂部に東西に伸びた尾根の遺構と、北西山腹の遺構からなり、主郭は山腹の曲輪とされている。
山腹の曲輪群は北西に伸びた尾根の間を登山道が通り、その両脇に段曲輪を設けている。この通路に面して石垣などが残されており、折れを伴いながら主郭へと続いている。
山頂部の曲輪群にも石垣が用いられ、東尾根には堀切がある。この尾根を東へ進んでいくと古城山と呼ばれる岩倉城へと至る。
北から林道がきており、入口は封鎖されているが、車をそこに駐めることができる(地図)。ゲートを越えて林道へ入ると小堤城山城への道標が出ている。
最寄り駅(直線距離)