築城年代は定かではないが山内義重によって築かれたと云われる。 文暦元年(1234年)正月の粟津の合戦で功を挙げた義重が衣川を領して築城したのが始まりと云われる。
十一代の山内駿河守宗綱は永正5年(1508年)〜永正8年(1511年)にかけて浅井公政・京極高清とともに朝倉貞景・村上山城守・細川高国・河野通直・大内義興らと戦い勝利をおさめたが、大永6年(1526年)に細川高国の奇襲によって衣川城は落城、重清らは辛うじて城を脱し伊予国宇摩郡近井郷鏑先村に逃れて土着したという。
衣川城は琵琶湖に注ぐ天神川の南側にある丘陵に築かれていた。 現在は衣川台の団地内にある小公園に石碑と案内板が建っているのみで遺構はないが、 発掘調査によって溝跡や建物跡が一部検出されたという。