平時忠は平安時代末期の公家で権大納言であった。壇ノ浦の戦いによって捕虜となり、その後、能登へ配流され、この地に住んだと云われる。
この平時忠の子孫が輪島市町野町の時国家という。
平時忠館は烏川の上流にある谷筋にあった。 『石川県中世城館調査報告書』に大谷則貞遺跡とあるのが平時忠館である。
この辺りには平時忠とその一族の墓(県指定史跡)や大納言時忠館跡とされる場所がある。
国道沿いに平時忠の墓の案内がある。訪れたのが夕方であったためか、あるいはもともとそうなのかわからないが墓の入口は鍵がかかっていて入ることができなかった。