詳細不明。城主は阿部判官義宗が伝えられる。また天正年間(1573年〜1592年)に上杉謙信の武将油井浄定が在城、前田利家の軍勢によって落城したという。
黒峰城は宝立山から南へ伸びた尾根の標高436mの所に築かれている。山頂部に分厚い土塁が巡る主郭があり、この周辺を削平している。この辺りは多くの山越の街道が通っていたようで、城の西側面を迂回するように南北に続く道、北から東尾根へは城の東側面を通って道が伸びている。城の中心部はこられの街道を見下ろす位置にある。
西側面の山道の下側には堀切や連続竪堀が残っており、北側は堀切がそのまま切通となっているようである。
東から県道があり風力発電を抜けて道が林道のようになった辺りから山に入る道がある。この道はダムへと続いているが、両側から草木が茂っていて通り抜けるのは難しい。